No.165

「今、どうして経営計画書なのか?(上)」  生駒 学  2007/12/1312:34


「会社にお金が残らない本当の理由」書いた経営コンサルタントで税理士の岡本吏郎氏は、次のようにその著書の中で書いています。
「それは、1955年ぐらいから1990年ぐらいのことでした。その間に私たちの経済は50倍になりました。その成長は最初のうちは少しずつ、後半に急激に伸びていきました。私たちはその上昇気流を満喫しました。満喫の仕方は人によって違いましたが、誰もが昨日より今日の方が豊かであることを味わいました。 そして、上昇気流は、数々の矛盾も飲み込んでいきました。

 @多くの矛盾を持つ税法Aルールが分からないのに維持されている経営B存在意義がなくなってしまった各種団体C社会保険制度D借入れ依存の企業体質・・・おかげで中小企業はそれなりに幸せでした。」

 平成元年(1989年)12月29日に日経平均株価は38,915円の最高値を記録した後、翌年の3月22日に日経平均株価が1年3ヵ月ぶりに3万円を割り込み、10月1日には、3年7ヶ月ぶりに2万円を割り込みました。そして、平成4年(1992年)には、公示地価の発表で三大都市圏の地価が11.6%下落して、いよいよ土地の大暴落が始まっていきまいた。そして、1990年代の、いわゆる「失われた10年」が始まっていったのです。

 それまでの経営手法は、「会社というのは、借金をして、土地を買って、含み益を増やして、設備投資をして、人材を確保して、ドンドン売上をのばすものだ。利益は後からついてくる。金利なんかは、費用で落ちるため、税金の肩代わり、しかも、インフレ傾向だから金利も借入金も目減りする。」という考え方が一般的でした。恐らく、そういう手法で会社を伸長させた経営者がほとんどではないでしょうか?

 「資金繰りが悪くなれば銀行にお願いしたら融資は受けられる。したがって、決算書も理解しなくてもいいし、帳簿も適当でいい。会社の金は俺の金。どう使おうが、売上を伸ばせばいい。]

 名だたる大企業、山一證券、北海道拓殖銀行、そごう、長銀、日債銀等も市場からの撤退を余儀なくされました。含み益経営の反省を受けて、上場企業は、2000年3月期決算より損益計算書と貸借対照表に加えキャッシュフロー計算書の開示が求められるようになりました。

 京セラの名誉会長稲盛和夫氏は、その著書「実学」の中で「会計が分からんで経営ができるか」と喚起し、「『儲かったお金はどこにあるのか』というのは、経営者が決算書を見るたびにつねに胸に呼び起こさなければならない大切な問いかけなのである。』とキャッシュフロー経営の重要性を問いかけたのです。(次号に続く)

初版 2007/12/13 12:34

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