今年も昨年に引き続き倍旧のご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。
皆様、お正月はいかがお過ごしだったでしょうか? 私は、年末から坂出の実家に帰ってゆっくりしていましたが、イトーヨーカ堂の創業者、伊藤雅敏著『商いのこころ』という本を一冊読んでみました。
経営者としては、考えさせられるくだりがたくさんありましたのでご紹介してみます。
「私は、50歳の年まで、銀行に会社の個人保証を取られていました。株式を上場したのが1972年(昭和47年)で、その時、私は48歳でしたから、上場後も個人保証をしていたことになります。中小企業の経営者は誰でも、会社が潰れれば、身ぐるみはがれる恐怖心を持っているものです。・・・・・(中略)・・会社と運命をともにしている緊張感からは、今も解放されません。ですから、今でも、自宅は家内の名義になっています。」
「大企業になり、堅実経営ともてはやされるうちに、社員がその気になって会社に頼る気持ちが芽生え、はびこっているとしたら大問題です。どんな企業でも潰れないと思うのは間違いです。企業は潰れるものです。」
「母と兄と私の3人ではじめた2坪の店が、グループ売上高約6兆円、約32万人が働く大企業になり、それゆえに自分の思うままにならない孤独感は、いよいよ募るばかりです。
本当にこれでよかったのか。もう一度やり直すとしたら、同じ道を歩むだろうか。
夫婦2人の小さな店で、いつまでも自分の思うような商売ができたならば、それが一番のしあわせなのではなかろうか・・・・・・。」
我々中小零細企業は、イトーヨーカ堂と比べたら月とスッポン、まったく、比較の対象になりませんが、成功している大企業の経営者になっても、考えることは同じだなと思ってしまうわけであります。
ここで、ちょっとイトーヨーカ堂の紹介をしてみましょう。皆様も御存じのように、イトーヨーカ堂は、ダイエーと1980年代まで雌雄を争った小売業の両雄であり、ダイエーの業績悪化によって格差が開いてしまいましたが、その背景を探るとダイエー創業者中内功氏とイトーヨーカ堂創業者伊藤雅敏氏の対照的な経営姿勢が見てとれます。
中内氏は、1969年の著書「わが安売り哲学」の中で「不動産業者と同じく、土地の利用は無から有を生じさせる力を持つ。そして自らの力で地価を高めることができる。このことは獲得した収益を金利として支払ながら、その10倍の借入を可能にする事になる」と述べています。(1957年に設立したダイエーは、15年後の1972年に売上高で三越を抜き、小売業のトップに立った。)
一方、伊藤氏は「商人は不動産で儲けるのは、邪道、利は商いで」という基本観から、十分な市場調査とコスト計算を繰返し、石橋を叩きながら出店し、会社全体で利益を出すというのでは満足せず、一店ごと、それも初年度から単年度黒字を出すような出店を行っていったといいます。(ヨーカ堂は1981年、三越を抜き、小売業の利益日本一となった。)
現在、デフレ経済下では、伊藤氏のキャッシュフロー経営が脚光をあびていますが、当時のトレンドの中では、地価は確実に上昇するとの判断は適切であったでしょうし、出店先の土地を借金して調達して地価上昇による含み益を担保にさらに出店するという手法は、誰も批判できるものではなかったと思います。(当然、結果責任はあるのでしょうが。)
しかしながら、堅実経営の伊藤氏であっても、座右の銘は読み人知らずの「商人の道」だそうです。本当に、経営することはむずかしいと思いますし、また、利益をあげつづけることは、それ以上にも増してむずかしいことだとつくづく思う今日この頃です。
「商人の道」
農民は連帯感に生きる
商人は孤独を生き甲斐にしなければならぬ
総ては競争者である
農民は安定を求める
商人は不安定こそ利潤の源泉として喜ばねばならぬ
農民は安全を欲する
商人は冒険を望まねばならぬ
絶えず危険な世界を求めそこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり隠居であるにすぎぬ
農民は土着を喜ぶ
大地に根を深くおろそうとする
商人は何処からでも養分を吸い上げられる浮草でなければならぬ
其の故郷は住む所すべてである
先祖伝来の土地などと云う商人は一刻も早く算盤を捨てて鍬を取るべきである
石橋をたたいて歩いてはならぬ
人の作った道を用心して通るのは女子供と老人の仕事である
我が歩む処そのものが道である
他人の道は自分の道ではないと云う事が商人の道である
所長 生駒 学
初版 2004/9/22
11:10
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