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背番号18桑田真澄選手登板

先日、元ジャイアンツの桑田真澄投手(どうしてもジャイアンツ入団時のKKドラフト事件が拭いきれませんが)の話を聞く機会がありました。しかし、その話は、実績に裏付けられていますので非常に説得力があります。やっぱり実績ですね。
講演会の演題は「夢をあきらめない」。現役時代173勝と輝かしい記録を残していますが、08年現役引退後、10年早稲田大学大学院修士課程終了、現在は野球解説者として活躍しながら東京大学大学院総合文化研究科に在籍しています。
まず、冒頭、「東大には毎年3千人入学しますが、プロ野球は75人。そして、平均引退年齢は28、29歳です。まさに弱肉強食の世界です」と説明。PL学園時代の桑田選手をみていた私は野球界の超エリートと思っていましたが、本人曰く「挫折の人生でした」。
中学時代から「大正中学に桑田あり」と名を轟かせていた桑田選手は、鳴り物入りでPL学園に入学したものの190センチもある清原和博選手に出会い、そのパワーに打ちのめされました。桑田選手曰く「聞いたこともない打球音で、ボールが外野フェンスの上を飛んでいくんです」。桑田選手は体格的にも劣っていて174センチ。入学後、何度か登板の機会がありましたが、いずれも痛打を浴び、監督に外野手転向を言い渡され玉拾いの日々です。オカン(講演会の、大阪府八尾市出身)に「(寮から)俺を連れて帰ってくれ」その時、オカンが「自分の夢や目標は絶対にあきらめてはダメ」と諭されたそうです。そのお母さんのひと言がなければ、今の私はないとも言っていました。
桑田選手曰く、「裏の努力、例えば寮生活で皆より朝早くおきて、トイレ掃除をする、スリッパをそろえる、大きな声で返事をする、大きな声で挨拶をする等々をしていたら、7月に登板機会が与えられました。裏の努力はしていましたが、実力に変化はないので投げても打たれてしまいました。しかし、いい当たりの打球が野手の正面に飛び、いつの間にか9回無失点で押さえていました・・・・」そこからの活躍は皆様ご存知の通り。
桑田選手は、(本人曰く)家も貧しくて、小学生の頃、誰よりも体が小さく、勉強も全くできなくて、テストは0点ばかり。中学に入ったときにお母さんから目標を定めなさいと言われ「PLに入り、甲子園に行き、卒業後は早稲田大学に入り、プロ野球で活躍する」と言いました。
最後に桑田選手は、多分、清原選手を意識して言ったと思いますが、「実力がズバ抜け
ていたら何も入らない」。人間的な魅力では清原選手なのでしょうが、少し地味ですがたゆまない努力を続けた桑田選手が今の名声を勝ち得ているのではないでしょうか?



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