【代表の独り言】「山本って、誰?」その1~自己紹介編~
今回二回目の投稿となります、生駒会計代表社員となりました山本です。
今回は、「山本って、誰?」との多くの声にお答えすべく、私のことを多少なりとも知っていただければとの思いで書かせていただくことといたしました。
さて、まずは私の自己紹介からになりますが、私、生まれたのは愛媛県松前町というところでして、香川の方にはあまりご存じない方がほとんどではないかと思いますが、松山市のすぐ隣にある人口3万人ちょっとの町です。
小・中を地元の学校に通い、高校は松山市に伊予鉄道で電車通学してました。
大学に入る時に、どうしても行きたい大学があったのですが、夢かなわずやさぐれている時に、九州の某国立大学の経済学部が運よく拾ってくれたのが、その後の運命を決定づけてくれました。
大学では、経済理論のゼミに入りたかったのですが、数学が圧倒的にできないという事実に気づき、数学をあまり必要としない会計系のゼミに勢いで入りました。ところが教授の専門がフランス会計学(入ってはじめて知りました)でしたので、教材の全部がフランス語というフランス語地獄の2年間を経験することになったのです。
おかげでフランス語は大嫌いになってしまいました。
(でも、フランスへ旅行に行った時にちょっとだけ通じた時には、妙に優越感を覚えてしまいました。)
さて、いざ就職の際には、当時は銀行がはやりで、私も何となく志望し、何行か受けたのですが奇跡的に全行ほぼ内定をいただき、そのうちの1行に行くこととなりました。
そのことを教授へ報告に行ったら、教授は大反対。というのも、教授命令で、全く興味のない「国税専門官試験」を受けろというので受けたら偶然にも合格してしまい、それもすっかり忘れていたのですが、教授からは「公務員にならないお前はばかだ」とまで言われ、そうまで言われると段々とその気になってきてしまい、内定をいただていた某銀行をお断りいたしました。
ちなみに後に教授は某都市銀行を落とされて以来、大の銀行嫌いになったということが判明しましたが、その時はもう後の祭りでした。
で、晴れて国税専門官として任官することとなったわけです。
最初の研修は千葉の西船橋で3か月ばかりあり、その時は大変楽しかったのですが、いざ現場に配属されたら、現場での研修は一切なし、徒弟制度そのもので、習うより慣れろ、仕事は盗んで覚えろ、命令には絶対服従、土日出勤は当たり前という職場環境でした。
このように当時はとてもブラックな職場でしたが、そこにまさか定年まで勤めようとは夢にも思わず、毎日、辞めることばかりを考えていました。
ただし、前職場の名誉のために言っておきますが、現在、研修制度は充実してますし、働き方改革でも最先端を行っており、ブラックな部分はほぼ解消されておりますので念のため。
そんなこんなで、徳島署長を最後に国税の職場を退職しましたが、ご縁があり、令和5年9月から生駒会計顧問税理士となり、令和6年4月からは社員税理士に、そして現在は代表社員になり今に至っているわけです。
以上が私の主な経歴です。といっても紙面の関係で、前職場に入った経緯しかお話できませんでしたので、その後の生駒会計に至るまでのことは次回以降で順次、お話をしたいと思います。