【代表の独り言】「山本って、誰?」その2 ~涙の国税編~
生駒会計の山本です。
さて、今回は国税の職場に入ってからその後について、もう少しお話したいと思います。
前回、国税の職場に入ってはみたものの、実は・・だった、というお話をしましたが、当時は本当にその通りで、勤退管理は出勤簿に印をつくだけ、勤務時間はあってないようなものでした。
また、仕事は誰も教えてくれません。上司も「これやってこい」としか指示をせず、帰ってきたら「どうしてできてない」と怒鳴られる日々でした。
そんな時、他部門のある上司が昼食に誘ってくれ、「最初はつらいけど頑張れ。困ったらいつでも言ってこい」と言ってくれたことで随分と救われました。
とはいえ状況がそうすぐに変わるわけもありません。ある日熱を出して休んだ翌日、出勤すると、「熱くらいで休んで」と言われ、その時心に誓いました。「絶対ここは辞めてやる」と。
そうして民間会社と公務員試験を受け、某損害保険会社と他の国家公務員試験に合格しました。どちらに行こうかと悩み同期に相談したのですが、「そんなことで逃げるな」「俺の方がもっとつらい目にあっている」と強力に引き止められ、そこまで言われたら「同期のためにも頑張って上司を見返してやる」と変な意地が出てきて踏みとどまりました。
そこからは、書庫にこもって先輩の調書から調査の方法、税法の解釈などを必死に勉強し、何とか調査をこなせるようになり、いつしか調査成績で上位になることもしばしばとなりました。
そんなある年、国税局の調査を専門にしている部署に抜擢され、いくこととなりました。
意気揚々と国税局に行ったのですが、日曜の夜に「行ってきます」と家を出て、金曜の夜に帰ってくる・・・そんな生活を送ることになろうとは、夢にも思っていませんでした。
さらに、金曜日に局に帰ってからが大変です。「復命」といって現場でやってきたこと、今後の方向性を上司に報告するのですが、不正をみつけて自信を持って復命をしても、その時の上司に木っ端みじんに否定され、さらに「お前なんかやめてしまえ」「お前は最低の国税局員だ」とくそみそに言われ、時には午前3時過ぎまで説教されたこともありました。
(これも国税の名誉のために言っておきますが、今ではそんな上司はいません。)
ただ、その時には、腹は立っても不思議と辞めようとは思いませんでした。
それはその上司の指摘がぐうの音もでないほど的確で、自分が思いもつかない手法など圧倒的な知識量があったからです。
その上司からは「厳しさこそが信頼を生む」「相手を丸裸にしろ、だが最後はパンツだけは履かせてやれ」などの名言とともに、自分の甘さや思い上がりを嫌というほど指摘されました。国税職員とはいかにあるべきかを叩き込んでくれた恩人ともいえ、今では尊敬してやまない上司の一人です。
その後、国税局の他部署での連日の深夜残業や、理不尽な納税者への対応などに耐えることができたのは、この経験があったからかもしれません。
振り返ってみますと、私は上司や同僚に節目節目で助けられてきました。このような素晴らしい方々との出会いがあって今の自分があるのだと、本当に感謝しかありません。
実は生駒会計との出会いも、まさしくこのような出会いの一つでした。
ただし、当初生駒会計の印象はあまりよくなかったものですから、「絶対お断りしよう」と思っていました。それが、なぜか今では代表にまでなってしまいました。
なぜ印象がよくなかったのか、なのになぜ生駒会計に入ったのか、については紙面の関係上、また次回お話したいと思います。